2009年07月10日

そんな子きっといるはずだ

 これは前々から思っていたことで、世間的にもすっかり色褪せてしまった時代遅れな話だと思うのだが、じょっちゅやじょっこが、まりもっこりのキーホルダーを提げているのを、やはりどうしても冷静な気持ちで見られない。肩を掴んで、相対して、お互いの目をちゃんと見つめ合って、真意を問い質したい気持ちになる。いっそのこと僕のまりもっこりを取り出して、「つまりこういうことなんだよ!」ということを解らせてあげたい。そんなキーホルダー提げてたら、変なお兄さんに肩掴まれて、ちんこ見せつけられちゃうんだよ! いいの? いいんならお言葉に甘えちゃうよ!
 まあ今日たまたま久しぶりにスクールバッグに提げている子を見かけたからそんなことを思ったのだけど、でも実際まりもっこりはもうブームとして下火なんだろうな、とも思う。一時期に比べぜんぜん見なくなった。みんな最近はケアベアとかなんでしょ。
 だから放っといてもまりもっこりに対する僕の懸念は自然と解決されてゆくはずなのだ。これでもなお、まりもっこりを提げる子っていうのは、僕が心配するまでもなく本物なんだと思う。本当にちんこが好きなんだと思う。それならそれでいい。誰も不幸になってない。
 でも下火になったら下火になったでちょっとした残念さもあって、女の子がまりもっこりを提げることに対する僕の懸念というのは、<この子はまりもっこりがどういう意味か解ってるのか、無自覚なんじゃないのか、いつか意味に気が付いたとき、スクールガール時代の自分が、勃起をモチーフにしたキャラクターを提げて街を闊歩していた、田辺先輩に告ったときも、私の鞄には勃起のキャラが付いてたのだ、という事実に、ショックを受けて拒食症とかになっちゃうんじゃないか>という不安から来るものであって、これが無自覚じゃなく、しっかり意味を把握してた上でのブームがまた来るのだとすれば、それならそれでぜんぜんいいのだ。むしろそれは大いに期待したいのである。そのとき天界への扉が開かれ、勃起がかわいいとされる千年世界が到来し、女子中学生の集団が、帰り道の僕を待ち伏せして、一斉に襲い掛かり、拘束して、木陰に連れ込み、数人掛りで組み伏し、猿ぐつわを噛ませ、がちゃがちゃとベルトのバックルを外し、ズボンを下げ、同時にシャツも脱がし、露出した乳首をふたりの少女が左右同時に舐め、僕の下着が徐々にまりもっこりしてゆく様を、歓声をあげながら、他の子たちはムービーで撮って、部活で来れなかったクラスの子にも、メールに添付して送ってあげる、そんなマリモッコトピアの午後の情事が展開されるのではないかと思う。以前PUREREASONCRITICISMにも、「勃起かわいい仮説」については書いた。まりもっこりはこの仮説を証明するマリモッコトピアへ辿り着くための通行切符なんじゃないか。父さんは嘘つきなんかじゃない。バルス!
 流行れ。流行れよ流行れ、まりもっこり。勃起ブーム、ひいては芝生ブームを巻き起こすんだ。去年のタイトル短歌で「大きくも小さくもなく陰唇はかわいいものと俺は思います」というのがあるが(10月1日)、男根もまたそうなのだと思った。天津木村のエロ詩吟に、「セックスが終わったあとのちんこをいじって遊んでいる女の子を見て、この子、子どもが好きなんだろうなって思う」みたいなのがあって、これは勃起じゃなくて萎んでるわけだけど、でも共通する部分はある。NHKでも最近「かわいい」をテーマにした番組をやっていて、日本のかわいいは世界の最先端、みたいなことを言っているが、そのかわいい先進国日本のさらに最先端は、実はここにあるのだと思う。男根かわいい。今夜のゲストは、じょっちゅとじょっこを中心とする男根ブームの火付け役、芝生男子でもありますpurope★papiroさんです。もうわけがわからん。SJS
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2009年07月09日

気になってたと告白す

 異動のためいまの職場で夏を迎えるのは初めてなのだが、職場のある町の女子高生がすごいことになっている。前々からスカートの短さがすごいとは思っていたのだが、夏の気運の高まりに沿って、このところ凄みを増してきた感がある。
 凄みを増してきたと言うか、端的に言うとみんなブラが透けている。普通に透けているのだ。
 女子高生って夏でも薄手のベストを着るか、あるいはキャミ的なものをブラとブラウスの間に挟ませるかして、決してブラを大っぴらに晒したりしないもんだと思っていたが、どうやらこの土地では決してそんなことはないらしい。つまりこの日記でさんざん書いてきたようなこれまでの僕の認識、「梅雨の時期は登校時が肌寒かったりするからカーディガンを着てきたりするけど、下校時には晴れて暑くなってるから堪らずカーディガンを脱いでしまう。もちろんカーディガン仕様だからキャミなんて用意してない。じゃあブラが透けちゃうって? でも初夏のこの爽快感、躍動感を前にして、それが一体なんだっていうの?」といった、そういう常識は通用しない。このグランドラインじゃ、夏の間じょっこのブラは透けているのが当たり前なのだ。本当にこれまでの自分が低レベルのイーストブルーにいたことを痛感する。エースの処刑まであと7時間。海賊王に俺はなるよ。
 これとは機構が違うのだけど、じょっこのブラ透けに関し、じょっこから関心をなくされきったら、逆にじょっこに対してなんでもし放題なんじゃないか、と思った。石コロ帽子願望にも通じる考え方である。かつて西洋人はアジア人のことを猿扱いしていたので、アジア人の前では何にも気にせず裸になったという。そういうのをじょっこと僕の関係にも応用できないだろうか。じょっこたちが俺のことを空気みたいな存在、風的な存在だと受け止め、僕がスカートをめくったとしても、「きゃっ、いたずらな風ね」と慌ててスカートを押さえ、クラスメイトの男子にいまの場面を見られていないかキョロキョロするような、そういう関係だ。俺のことは完全にスルー。今後の人生をかけてそういうのを築いていきたい。要するに煩悩や我を捨てるということなので、これはまったくもって「修行」に他ならない。一般的には、変に色気を持ってじょっこと対面するから、じょっこの思春期センサーに引っ掛かって拒まれる。しかしこちらから発する波動を無にしたら、じょっこだってフラットに現象を受け止めるに違いないはずなのである(波動とか言うと途端に話が胡散臭くなって素敵だ)。山に篭もってるような輩というのも、結局はじょっこのスカートを自由にめくることが目的なのだと思う。サンは森で、私はたたら場で、そのくらいの境地で女子高生と相対して、共に生きよう。僕は本気だ。あいつ、本気で女子高生に無視されるつもりだぜ……でっけえよ、かなわねえよ。って町のチンピラが遠巻きに噂すればいい。完全に風として扱われ、存在を無視されたとき、僕は日本的なアニミズム思想から、神と崇め奉られるのだろうと思う。
 SANJIKAINOSHOYA!
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2009年07月08日

1学期から俺のこと

 7月8日ということで、交際記念日なのだった。6回目。
 6回目ですよ6回目。去年結婚したからいいけどね、結婚してなかったらなかなかこんな堂々と6回目とか書けませんよあなた。今日とか逆に重い空気ですよ。よかった結婚して。
 ちょうどひと月後が結婚記念日なので、交際記念日はあまり祝わない。付き合って6年、という事実にちょっと感慨深い気持ちになるだけ。6年かー。ちょっと感慨深い。
 昨日寝るときファルマンと話をしていて(俗に言うパピロートーク)、自分が「花咲かじいさん」と「こぶとりじいさん」を混同していたことに気付いた。なんか、花を咲かせた褒美として鬼に瘤を取ってもらったような気がしていた。実はちがう。瘤のじいさんは、踊りを踊って取ってもらったのだそうだ。そう言えばそうだった気がする。じいさんの踊りで愉しいとか、鬼もずいぶん娯楽に飢えてることだと思う。女の子とかと遊べよ。同時に、「花咲かじいさん」は殺された飼い犬の灰を木の上から撒いたのだと改めて認識し、ずいぶんエキセントリックなじいさんだな、と思った。あの夕方のニュースの特集でたまにやってる、家で50匹くらい犬を飼育して近隣住民から苦情が来ている人みたいだ。そんな隣人がいたら相当に嫌だと思う。
posted by papiro at 21:32| 文月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月07日

白い歯のぞかす天の川

 労働が休みだったので実家に行く。やけに実家に行く人みたいだが、今回はよんどころない事務的な用事があったのだ。それを処理しに行く。夏日的な陽気だった。
 義兄の店は火曜日が定休日で、なので姉一家は本日一家団欒のため姿を見せず。
 お昼は母の手作りピザ。デザートに手作りのシュークリームをいただいた。母は相変わらず手間の掛かりそうな料理をせっせと作ることだ。冷凍庫には手作りのパンがわんさかあった。熱したオーブンがすごく熱かったりするのに、夏にようやることだと思った。
 午後に郵便局に行って所用を済ます。そのあとOKストアで買い物。ビールやら無洗米やらを買い込んだ。生地屋にも行こうかと思っていたのだが、時間がなかったので今回は断念。例の一家の娘のために手提げ袋を作る約束をしているので、それ用の材料を仕入れたいのだ。
 帰りの道はかなり空いていた。1時間半も掛からず帰宅。18時半頃になっていたので、ファルマンも帰宅していた。母とファルマンもちょっとだけ顔を合わす。
 もらったピザで夕食。味が気に入ったらしく、ファルマンが珍しくピザに感動していた。あんまり食べものの味に反応を示さない子なので、思わず日記に書くくらい新鮮な感じがした。
 七夕なので、笹には吊るさないけど短冊に願い事を書く。ファルマンも(なぜか本名で)書き、併せて「俺ばかりが正論を言っている」に邁進した。叶えばいい
posted by papiro at 20:50| 文月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月06日

頬を赤らめをとめごは

 柄にもないことをしてみる。メールフォームの設置だ。
 左のサイドバーにある。これはこのKUCHIBASHI DIARYのほか、俺ばかりが正論を言っている、STITCHTALK、NAYAMUKEDOKUZIKENAIに共通のもの。つまりこれによりどのブログからも僕と交流を持つことが可能となった。やったじゃん、みんな、夢かなったじゃん。
 メールフォームでは自由選択で好きなブログを選ぶ項目があって、上記の4つに「うわのそら」を足した5つから複数選択できるので、みんなどしどし「うわのそら」以外の4つにチェックを入れて投票したらいいと思う。本当に待ってます。
 パピロウってネットでの交流を拒んでる感じだからメッセージとか感想とか別にいらないのかな、ってみんな勘違いしてると思うんだけど、言っとくけど僕は褒められるの大好きだからね。ミクシィやってる人の5万倍は好きだからね。なのでみんな褒めちぎればいい。ちぎってちぎって、世界は分断され、小さな政府が濫立すればいい。たとえばcozy rippleトップページのモジャジャかわいい、とかでいいのだ。これは誰も言ってくれないから俺ばかりが言っている。俺ばかりが正論を言っている。暇さえあればトップページを眺め、モジャジャかわいいってステッチトーク(ひとりごと)してる。なやむけどくじけないよ。
 ちなみに返信はJCかJKでもない限りしないです。甘く見んな。
 昨日、大学時代に書いたものを収納したファイルを眺めていたら、ロシア文学史の講義中に描いた落書きが出てきた。ロシア文学史はあまりに興味がなくてなんにも覚えられなくて、プリントに載っていたロシア人の名前から勝手に似顔絵を描いて、横に座っていたファルマンに見せ、静まり返った教室で笑いをこらえさせていた記憶しかない。そのときの絵
posted by papiro at 10:22| 文月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

朱色の金魚が躍ってる

 日曜日の短めの労働。割と昼間に労働が終わるので、終わったあとけっこう気持ちがいい。なんか天気もよかったし。帰宅して焼きうどんを作って食べる。おいしい。ビール。昼寝。
 女の子について熱心に考える時期と、それほど考えない時期があって、いまはあまり考えない時期に入っている。でも最近気付いたことに、この女の子についてあまり熱心に考えない時期もまた、僕の心は女の子とともにあり、空気みたいな存在としていつでもすぐ近くに女の子はいて、それはかつて女の子だった女性が記憶としてすぐ手許に置いているとかいうのとも違って、それよりはもっと生々しく、女の子という存在がイデアとして僕にぴたりと張り付いているような、そういうイメージ。こういう話のイメージが3次会の庄や。どや、おっさんおもろいやろ。
posted by papiro at 21:01| 文月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月04日

クリーム色の浴衣には

 休みの土曜日。先週はアクティブだったので、今週はのんびり過ごす。
 puropediaとNAYAMUKEDOKUZIKENAIを始めたこともあり、cozy rippleのトップページをリニューアルした。今回は先日「俺ばかりが正論を言っている」にアップしたモジャジャを使用。クチバシとヒット君のツートップにノロマンとオオクチアホキリンが続いている、という状況が長く続いていたが、ここに来てモジャジャの評価がうなぎのぼりだ。モジャジャはファルマンの作ったキャラクターなのだが、そんな小さいことは気にせず存分にかわいがってゆこうと思う。
 新しいブログと言えば、夏に向けてお前どんだけ調子いいんだよという僕の新企画攻勢のひとつとして、「3次会の庄や」というタイトルのブログの画策もあって、これはこのブログでたまに僕が口にするところの「3次会の庄やだな」という感じの話ばかりを延々とする、というコンセプトのブログだったのだが、しかしとりあえずすぐには作らないことにした。やれたらすごくおもしろそうだと思うのだが、KUCHIBASHI DIARYから日々の出来事がNAYAMUKEDOKUZIKENAIに奪われ、だらだらとした雑談が3次会の庄やに奪われるのだとしたら、本当にKUCHIBASHI DIARYに書くことがなくなってしまう。しかも3次会の庄や、だいぶPUREREASONCRITICISMとも被っている。結局のところ僕ひとりでやっていることだからテーマが限られてくるのはしょうがないのか。水曜日の夜だけ音楽的才能にあふれ、初音ミクとかやり出さないかな、俺。
posted by papiro at 23:06| 文月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月03日

橙色の薄明かり

 なんだかんだで絵日記ブログを始めてしまう
 タイトルはNAYAMUKEDOKUZIKENAI。ブランド名と一緒なのがややこしいが、このタイトル以外ないと思ったのだからしょうがない。puropediaに、「NAYAMUKEDOKUZIKENAI(ブログ)」、「NAYAMUKEDOKUZIKENAI(ブランド)」としてそれぞれページを作った。あいまいさ回避だ。
 絵日記ブログなので、けっこう日常の出来事とかを書いてゆくのだろうと思う。でもだとしたらこのKUCHIBASHI DIARYはどうなるのだろう。役割分担をちゃんと明確にしないとな。
 もっとも最近KUCHIBASHI DIARYはそれほどダイアリーじゃなくなっている。女の子とかについて、考えたことばかり書いている。でもこれはしょうがないことだと思う。日常は同じことの繰り返しなので、わざわざ書くことってそんなにない。しかし労働はいつも同じ調子で同じことの繰り返しだが、頭の中の動きは日々深化している。だとすればその日の頭の行動を切々と綴ることも、立派な日記なんじゃないかと思う。KUCHIBASHI DIARYはそういうスタンスだな。
 それに対してNAYAMUKEDOKUZIKENAIは、なんとなくイラストに救われる感じで、毒にも薬にもならないあるある話とかを短文で書いてゆけばいいんだと思う。絵日記ブログを始めはしたが、絵日記ブログへの不信感がなくなったわけでは決してない。気合を入れず、迎合せず、誰とも交流を持たず、孤高にやっていこうと思う。
posted by papiro at 15:11| 文月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月02日

群青色の暗がりに

 例えば教祖のお兄ちゃんがいて、そのお兄ちゃんが妹のショーツを祈祷に使用してしまったとしたらどうか。あるいは造形作家のお兄ちゃんがいて、いま取り掛かっている作品の素材が妹のショーツだったらどうか。妹はノーパンで登校するほかなくなるのではないか。
 さらに言えばその場合、怒ってふくれた妹はノーパンでの学校生活を過ごした後、放課後お兄ちゃんに新しいショーツを買ってもらうために下着屋さんに一緒に出掛けるのではないか。

 妹のショーツ駄目にす穴埋めにイトーヨーカドー一緒に行こうよ(そんでショーツ買ったあと1階のフードコーナーでソフトクリーム食べようよ)

 お兄ちゃんはただ妹のショーツを喪失させればそれでいいのである。たったそれだけの労力でこれほどの効果が得られる。思わず字余りの短歌を詠んでしまうほど悔しい。妹がいさえすれば、世の中はこんなにも楽に回るのか。……ちゃくしょう!
 この「ちゃくしょう!」って前から密かに使っているギャグで、たしか始めに言い出したのはプロッペッさん家のパッピローニだったと思うのだが、目の前にある悔しさを「ちくしょう!」と叫ぶ場面で、誰もが誕生過程において受精の次にやった行為「着床」と叫ぶことにより、「人はどうして泣きながら生まれてくるんだろう?」「生まれてしまったことを哀しんでいるのさ」みたいな、人生そのもののどうしようもない嘆きが表現されて、話に一気に深みをもたらす効果がある。いいギャグだ。
 思わずpuropediaにページを作ってしまうほどのいいギャグです。
posted by papiro at 22:47| 文月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

文月の地元の町の夏祭り

 気が付いた。
 中学校と高校で女の子は6年間も学校に通うのだから、そのうちの1日ぐらいは、なんかしらの理由によってノーパンの日があるのではないか、と気が付いた。
 なんかしらの理由の具体例がすぐには浮かばないが、でもなんかしらあると思う。なんかしら、よんどころない、のっぴきならない、ショーツを穿けない理由が、きっとなんかある。
 1年間で学校に行くのは何日くらいだろう。夏休み中にも制服で予備校に行ったりするのも含めれば、200日くらいにはなるだろうか。200×6で、1200日。1200分の1と言えばひどい低確率である。僕も無理に女の子にノーパンたれと言っているんじゃない。でもその低確率だったらノーパンなのも十分にある気がしてくるじゃないか。
 女の子が1200日のうち1日はノーパンであるのだとすれば、言い換えれば毎日1200人にひとりはノーパンだということになる。確率論的に言ってそういう計算にはならない、とかそういうのはいい。女の子の1200人にひとりはノーパン。この中高一貫女子学園の生徒数は1400人だから、毎日ひとりかふたりはノーパンということになる。
 ああ、全校集会の際にステージ壇上から全校生徒をぐるりと見渡し、そのひとりかふたりを察知する超能力が欲しい。そして学園理事長という権限を使って、そのひとりかふたりに放課後わざと雑用を頼みたい。高い位置にある標語ポスターの貼り替えとかを命じたい。
 1日なのでSEVENTEENを買う。なんだかんだで6、7、8月号はやっぱり購買意欲が湧く。
 特集記事で「草食男子を射止める方法」というのがあって、なかなかおもしろかった。これまで、なぜ草食男子という言葉にはセットで肉食女子が出てくるのか、実はよく解ってなかったのだけど、草食男子は消極的で自発的に動かないから肉食女子がモーションをかけるしかない、という理屈なのだな。初めて理解した。だからなんだよ、という気がしないでもないけど。なので特集記事は草食男子の生態の紹介に続いて、どうやったら肉食女子になることができ、草食男子をその気にさせることができるか、というノウハウとなっていた。「クラスの男子を「つきあえる」「つきあえない」で分ける」とか「鶏肉は最低でも週2」とか、そういうのがトレーニング方法らしい。どうでもいいな。まあみんなやりたいようにやればいいと思う。
 ところで草食男子の話題が出たら触れないわけにはいかない芝生男子なのだけど、「芝生男子を射止める方法」は、ずばり人海戦術です。突撃する人数が多ければ多いほど芝生男子は落ちやすくなります。もっともそれは草食男子も、ましてや肉食男子も同じことかもしれない。いや、肉食男子は案外「オレにとって静香以外の女は全員カスだし」みたいなことを言うような気もする。どうでもいいな。まあみんなやりたいようにやればいいと思う。
posted by papiro at 22:25| 文月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする