2023年04月22日

12年後――


 「行ってきまーす」とはならなかった。
 あれから12年の歳月が経ち、生後3ヶ月だったポルガは12歳3ヶ月となり、この春から無事に中学生になったけれど、12年前に想像していたような、「行ってきまーす」と快活に挨拶をして登校するようなキャラにはならなかった。反抗期とかではない。小学生の頃からずっとそうだ。しかし性格そのものが気難しくて寡黙ということでも決してない。誰とでも気さくに話すキャラでこそないが、特別おとなしいわけではない。自分の話したいことは物怖じせずいくらでも話す。ただし快活に挨拶をすることはない。要するに、コミュニケーション能力的なものがちょっと欠けている。これはもうそういう人格なんだな、と12年の歳月で悟った。
 それでも健やかに成長をしてくれているのだから、親としてそれ以上に望むことがあるだろうか。
 12年間で成長したのは子どもだけではない。僕はすっかり親になった。
 12年前は、そうか、僕も27歳だったということか。今ちょうど、過去の日記を読み返すという作業をしていて、22歳の頃の日記を読んでいるのだが、大学4年生当時の日記は、ある意味もう地続きではない感じがあり、客観的に読めるけれど、27歳というのはなかなかリアルだと思う。遠いは遠いが、しかしこっち側だ。親になっているし、放射能も浴びている。本当はこの12年ぶりの更新をするまでに、読み返し作業も「KUCHIBASHI DIARY」時代まで進めておきたかった。でもそれはぜんぜんままならなかった。
 27歳の僕は、放射能は浴びているが、コロナ禍は経験していない。人生は、世界は、まるで想像していなかった流転で溢れている。12年前は、東京で書店員をしていた。ここから今日までに、3回の引越しをし、8回の転職をした。たぶん平均よりも、流転が激しかったほうの部類ではないかと思う。そのことを俯瞰し、結果として思うことは、住むところや、仕事なんてものは、些末事だということだ。大事なのは自己と家族だけであり、それが病んでいなければ、それ以上のことはないのだ。数え年四十は不惑だという。なるほどな、と思う。この境地に至るまでの12年間が、27歳で書いたひとつ前の記事と、39歳で書いているこの記事との間にはある。
 この間に起った大きな出来事としては、なんと言っても次女のピイガの誕生がある。ポルガとは3歳差なので、こちらももう小学4年生になっている。ひとつ前の記事では存在してなかったものが、小学4年生だ。クラクラするじゃないか。
 あと、ひとつ前の記事にも登場しているブログマザーこと妻のファルマンだが、この当時からは想像もつかない変化として、数年前にブログをやめたのだった。日々を間近で目の当たりにしている身としてはなんとなく納得もいくのだが、12年前、そんな未来が待ち受けているとは誰も、ファルマン自身も思っていなかっただろう。
 僕は12年後の今も書いている。毎日更新ではさすがになくなったけど、まだ書けている。やめる未来は今のところイメージできないが、盤石だと信じていたものだって時機が来れば呆気なく流転するので、どうなるかは分からない。ひとつ前の記事で告知した、「KUCHIBASHI DIARY」のあとを継いだ「USP」は、そのあと7年間ほど運営され、しかしそれも終息し、今はどれがメインということもなく、いろんなブログをやっている。思えば「KUCHIABSHI DIARY」には、絶対に画像を載せないという信念があった。純粋に言葉だけで表現するのだという気概、言い換えれば尖りがあった。それを「青い」などと言ってしまうのは、当時の僕にも、今の僕にもよくない。「かっこいい」と言いたい(ただしポルガが誕生したときに1枚だけ画像をアップしている)。
 12年前のブログマザーは、「KUCHIBASHI DIARY」の更新がストップすることについて、「寂しいけど変化は必要だからしょうがないね」と言っていた。万物は流転する。しかし流転する中でも保たれるものはある。それはこれです、と一言で言えるものではない。伝えるには僕の綴ったブログ記事をすべて並べるしか方法がない。
 12年ぶりに書くブログというものを、どう書いたらいいのか、まだあまり人類でこれをしたことのある人はいなさそうで、手本となるイメージがないため、あまりにも取り留めのない文章になってしまった。12年前の僕に怒られるかもしれない。そのさまを思い浮かべると、愛しい。そしてそんな12年前の愛しい僕は、現在の僕の中にいるので、要するに僕は僕が愛しい。あ、一言で言えてしまった。

 12年間サービスを続けてくれていたseesaaに感謝したい。
 どうもありがとう。
 
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2011年04月22日

満3ヶ月満12年3ヶ月

 2007年の元日から4年と3ヶ月半、最後の1ヶ月半は崩れてしまったけど、基本的に毎日更新で紡いできたこのブログ、それがとうとう区切りの時期を迎えている。
 前の記事で示唆したとおり、個々に散らばっていたブログを収束させ、ひとつの統一ブログを作ることにした。と言うか作った。その名も「USP」。united states of papiroの略。ひそかに18日から書き始めていて、まだ文章の記事しかやっていないのだけど、これからはここにハンドメイドやイラストなども載せてゆくつもり。気持ちとしては、すべてのブログが力を合わせて毎日更新を実現してゆく感じ。仲間が集結してひとつのパーティとなる様が、ドラクエ4のようだと思う。
 ちなみにpuropediaに関しては、引き続きpuropediaとして運営してゆく。さすがにこれは特殊なのでブログには集約できない。また「大百句」に「pa!pa!pa!pa!pappeena!!!!」、「ホガラカノイロオゼ」や「道草マーガレッツのあちこち満開」、そして「宇佐木学園ぴょんぴょんブログ(×3)」に関しては、今後の「USP」の状況を見て、ということになる。ブログが実際にどう展開してゆくかは誰にも判らない。だけど、だからこそおもしれえんだぜ、ブログってやつはさ。
 今回のことについて我が家のブログマザーに相談したところ、「クチバシダイアリーがなくなるのは寂しいけど、変化は必要だからしょうがないね」という深い言葉をいただいた。さすがよく解っていらっしゃる。たしかに変化(転生)こそ、実名でやるフェイスブックには真似のできない、現実とは乖離した世界で浮遊するブログというものの情趣だろうと思う。
 ただしマザーは一点だけ早とちりしていらっしゃることがある。
 クチバシダイアリーは、なくならないのである。
 4年以上の長きにわたり、毎日更新してきたこの愛着のあるブログを、僕だってそう簡単に手離したいとは思っていないのだ。だけど状況的にはどうしたって仕切り直して、新しいブログを始める必要があった。さて対立するこの問題をどう解決しようか。これについてはいろいろ考えた。
 いろいろ考えた末に、だいぶ前に思いついて、いつかやってみたいなと思っていたブログのアイディアを思い出した。そうだ、これをクチバシダイアリーで使えばいいのだ。
 よくマンガとかで、大きな問題が解決して平和が戻り、話がエンディングへと雪崩れ込む際の最後の2話くらいのところで、いきなり「15年後――」とかなったりするやつがあるだろう。当時赤ん坊だった主人公の子どもが立派に成長して、「行ってきまーす」なんて言って学校へと向かう、という感じのあれ。最近では「メジャー」がまさにそれだった。
 あれをブログでやりたい。なにしろちょうど赤ん坊がいるので、条件は揃っている。
 というわけで、次にクチバシダイアリーが更新されるのは、たぶん12年後、ポルガの中学の入学式だ。「行ってきまーす」と遅刻しそうなポルガが慌ただしく家を出発し、曲がり角でクラスメイトとなる男子と衝突する。そして教室での自己紹介で、「あっ、あんたは今朝のー!」「あん時の暴力女ー!」「なんだお前ら、知り合いだったのか?」的な感じを描きたい。
 だからクチバシダイアリーはこれから12年間更新しないが、これは充電期間でもなければ休眠期間でもない。と言うかこの12年間はクチバシダイアリーの中では存在しないのだ。「メジャー」でも翌週には数年後になっていたわけだし。つまりそんな感じ。もっともそれは12年後に今これを読んでいる人なら一目瞭然だろう。12年の時を隔てたこの記事とひとつ上の記事は、なんの違和感もなく並んでいる。ブログ内においてこの2記事に大した区別はない。
 題して「12年後――ブログ」。
 そんなわけで次の記事への気の長い引き文句でこの記事を終えたい。

 12年後――

 
 満3ヶ月……ポルガは今日で満3ヶ月なのだった。12年後には一体どんな女の子になっているのだろう。まあ毎日更新ブログ「USP」で逐一書き綴るんだけどさ。ちなみにこの年題についても、なんらかの形で「USP」で継続していきたいと思っている。
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2011年04月16日

パピロウの子はにぎにぎをよく覚え

 不定期更新の日記ってこんなに書けないものか、とおののいている。
 我が家のブログマザーことファルマン曰く、「ブログは書かなければ書かないほど書けなくなる」とのことで、たしかにそうだと思う。毎日更新の日記というのは、稼働し続けているエンジンのようなもので、車輪は放っておいても勝手に回るため、大変なようで実はそれほど大変じゃないのだと気が付いた。むしろこうしてたまにエンジンを動かそうとすると習慣がなくなってしまっているので、立ち上がりに多量のエネルギーを消費する感じがある。
 じゃあ楽なほう、ということで毎日更新を復活させるか、と言うと問題はそう簡単ではなくて、ブログよりもハンドメイドをしたい夜だってある。そしてクチバシダイアリーを書きつつハンドメイドの作製というのはさすがに難しいのだ。それでもハンドメイド作品が出来上がれば、それをステッチトークに更新するので、クチバシダイアリーで「ハンドメイド作品をステッチトークに更新したぜ」と書くことはできる。しかしハンドメイド作品は、ひと晩かまけても毎日必ずなんかしらのものが完成するわけではないし、そもそもクチバシダイアリーに、他のブログを更新したことだけを告げる記事をアップするのはすごく阿呆らしいと思う。
 こういった問題を解決するヒントとして、我が家のブログエンジェルことプロペ天使パピロウのお言葉にこういうものがある。「ブログは収束と拡散を繰り返す」。
 創成ブログ「purope★papiro★cantabile」は、カテゴリで分類をしながら、文章やポエムやイラストなど、毎日いろいろ雑多に更新していた。そこから「学年題俳句1000詠」や「俺ばかりが正論を言っている」などが独立し、ブログは2桁まで拡散した。今それが、ふたたびひとつへと収束するタイミングが来ているのかもしれない。書くべき出来事があった日はクチバシダイアリー的な文章を、ハンドメイド作品が仕上がったらステッチトーク的な写真入りの紹介を、イラストやマンガを描いたら俺ばかりが正論を言っている的な画像貼りつけを、という風に。
 そんなブログを想像すると、その自由さに胸が震える思いがする。そう言えばブログってそういう、ブロガーの思いのままに展開される、雑多なおもちゃ箱であってしかるべき、自由なものだったんじゃないか。未検査だけどおそらくA型の血液型なんじゃないかと思われる僕はどうも、画像は(娘が誕生したときを除いて)一切貼らないとか、その逆で文字は一切打ちこまないとか、ブログごとの縛りを作りたがるのだけど、ブログって本当はもっと自由であっていいはずだ。ブログをやり始めて6年半ほどになるが、ものすごく遠回りしてそのシンプルな結論に至り、20歳の頃のようなブログへと、回帰のときを迎えている気がする。
 近いうちに実行するかもしれない。統一ブログ。
 しかし新しいブログを作るかもしれないときって、どうしてこんなにワクワクするのだろう。そう言えばこのワクワクが、拡散作用の大きな一因なのだよな。要するに飽きっぽいだけか。

 にぎにぎ……最近しっかりとものを掴めるようになった。「もっともっといろんななんだろう、にぎにぎしたいな」とはポルガの弁。にぎにぎちゅぎゅ。
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2011年04月11日

父さんも常に心によだれかけ

 気にしない短歌
 
 先輩は単なるキスの実験台なのになんなのなんなのよこれ

 大塚の決勝ゴールが決めたんは県大会出場だけじゃないんだかんね

 ななななななんなのよこれおおおおおおとこのこのってこんなふうになるの



 この記事の本題は、4個まで彫ったポルガはんこと、サイコロ(2個目)およびフェルトで作ったノロマンをステッチトークにアップしたことを伝えることです。

 よだれかけ……ポルガのよだれがひどいので、首も据わりきらないうちからもうデビューした。手作りしたい気持ちもあるが、西松屋で5枚600円とかで売られているので、なんかいいやと思った。その分キャラクターとかを作ったほうが正解な気がする。
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2011年04月06日

みどりごが眺めぬ頭上の初桜

 不意に休みの水曜日。のんびりと過ごす。
 昨日の夜、注文していた手芸素材が到着した。中身でいちばん嬉しかったのはやはり力ボタンだ。少なくなっていた色の補充と同時に、これまで存在を知らなかった色まで手に入れることができた。まさか臙脂の力ボタンがあっただなんて。他にマジックテープやフェルトも嬉しい。鈴は、想像していたよりも大きく、ヒットくん人形の中に入れるために購入したのだが、残念ながらヒットくんの腹周りを超えていて、別のことに使うほかなくなった。まあいいけど。
 午前中に3人で外出する。近所の公園に、花見というほどでもなく、桜を見に行く。ほとんどしていないが、それでもだんだんとベビーカーでのお出掛けも慣れてきた感がある。ポルガが泣かなくなったのは、あったかくなったせいもあるだろう。春が来たのだなあとしみじみと感じた。
 公園と言うよりも広場と言ったほうがいいくらいの場所の、桜の木の下まで行き、順番にポルガを抱いて写真を撮った。今年は、まだ生後70日だし、原発問題だしで、花見ムードじゃないこと甚だしい。来年はいい形でやれればいいなと切に思う。とりあえず写真だけ撮れてよかった。
 家に帰り、残り物のお昼ごはんを食べたあと、僕だけ外出。ショッピングセンターに買い出し。最近は3回に1回くらいの確率で納豆をゲットできるようになってきた。手芸用品屋にも寄り、ぬいぐるみの中に入れる用の鈴、それの小さいサイズのものを買う。とりあえず2個入りの袋をふたつだけ。それ以降は職場の近くの件の手芸用品屋で買おう。
 帰宅して、今日はファルマンからリクエストを受けたサイコロを作る。1辺8センチくらいで、フェルトで作製した。フェルトには刺繍などはなにもせず、シンプルに6色を貼り合わせるのみ。中に綿を詰め、ヒットくん人形には大きすぎた鈴も入れる。なにしろリクエストされたものなので、作業中は終始あまり気乗りしなかったのだが、やってみたらなかなかいい出来に仕上がった。パピロウの作ったサイコロなのでパピコロというのが名称として相応しいが、既に使われてしまっているのでパピロウサイコロと名付けた。なにがパピロウなのかよく判らないけれど。
 完成品をファルマンに見せたところ喜んでくれたが、それ以上にポルガの反応がよくて嬉しかった。目の前でポンポンと毬のように弾ませてやると、きゃっきゃきゃっきゃと笑う。なんていい反応だろうか。パピコロへのリアクションもいいし、性格のいい娘だなと思う。
 そのあとは引き続いてヒットくん人形作り。「ネオ」ヒットくん人形。パピロウサイコロと併せてSTITCHTALKにアップする。なんだか最近はクチバシダイアリーが、ただのステッチトーク紹介ブログのようだな。毎日更新をやめたので勢いがなくなるのは当然だが、もう少しがんばって文章を書きたい感じもする。女の子の話をしてこそクチバシダイアリーだろう、という思いがある。

 初桜……生まれて初めて見る桜。生後70日なのでほとんど見てなかったけど。
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2011年04月03日

バンザイで横たえられし体重計

 ファルマン28歳の誕生日。ちょうど労働が休みなので、のんびり家で過ごす。最近になって物を掴めるようになってきているポルガに、「お母さん28歳おめでとう ポルガ」と書いた紙を持たせ、写真を撮った。なかなかかわいらしくてよかった。
 ところでそうやってポルガの成長を実感すると同時に想起されるのが、毎年4月の第1日曜日なので本日開催らしい、川崎のかなまら祭りのことである。別に不妊に悩んでいたというわけではなく、純然たる僕の趣味で行った去年のこの祭りで、せっかくだからということで子宝祈願のお守りを買って、その翌月に妊娠が発覚したのだった。行った直後はあまりの品のなさに打ちひしがれたこの祭りだったが、そんなこともあってお礼参りの必要があるのではないかという気持ちは持っている。ちなみに今年の祭りは、真面目な儀式はやるものの、そのあとの男根神輿などは自粛だそうだ。たくさんの方が亡くなったから神輿をやらない、というのはちょっと違う気もするが、なにしろ男根神輿なのでしょうがないなとも思う。そのうち、かなまら祭りじゃない日に行こうと思う。
 午前中に買い物に出る。外はあいにくの薄曇り。花曇りというやつか。今年はいろいろな意味であんまり花見どころじゃないな。夕食の材料と、バースデーケーキを購入して帰る。
 昼ごはんはラーメン。おととい煮豚を作ったので、それを乗せて豪勢に仕上げる。
 午後はポルガの面倒を見たり裁縫をして過ごす。いつも消しゴムはんこを導入としてハンドメイド熱が高まり、裁縫へと移行してゆくのだよな。今回はポルガが大好きなパピコロではなく、力ボタンが手に入ったこともあり(到着はまだだが)、ヒットくん人形に取り組んでいる。久しぶりにヒットくん人形をやって、その面倒臭さに驚いた。パピコロに較べてとんでもない手の掛かりよう。かつて1体700円で販売していたが、今はその値段ではちょっと売りたくないなと思う。しかし買う側はその値段以上は絶対に出す気になんかならないだろう。そもそも700円でもよく買ってくれたものだと思う。そう考えるとヒットくんって絶対に商売にならないのだな。
 早い時間から夕食の準備に取り掛かる。夕食は餃子。誕生日なので特別メニュー。もちろん普段は面倒なのでやらない。餡を完成させて、冷蔵庫で寝かす。それからろくに我慢できず、6時前から焼き出してしまう。フライパンで何度かに分けて焼く。一発目はたくさん羽根を作ろうと、欲張って小麦粉を溶かした水を入れすぎたら、皮と同化してぶよぶよになってしまい、しかも焦げてしまい、さんざんな出来になる。仕方ないのでこれは僕が責任を取って主に食べた。二発目はうまくいき、ファルマンにおいしい餃子を食べさせることができた。よかった。
 食後はもちろんケーキ。ただしケーキと言いつつ、授乳中のファルマンはバターも生クリームもダメなので、フルーツタルトである。なかなかおいしかった。さすがは1切れでコージーコーナーのシュークリーム5つ分くらいの値段がするだけはあるな、と思った。
 ちなみにプレゼントは、もう以前から今後のお互いの誕生日プレゼントは何にするかというのを決めてあって、その1年間のブログの製本代金ということになっているのだった。しかし今回は贈られる側が編集や発注の作業に取り掛かれておらず、とりあえず保留となった。僕は今年の9月には、ちゃんと贈る側が恐縮しないように間に合わせてあげようと思う。
 そんな感じの、ファルマンが28歳になった日曜日だった。ちなみに27歳から28歳になる感慨ってほとんどないらしい。そんな気がする。28歳から29歳はだいぶありそうだけど。

 体重計……遅ればせながら先日、母乳をどのくらい飲んでいるのか不安になったため、赤ん坊用の体重計を3ヶ月のレンタルで入手した。カゴ状の台に横たわっている姿がかわいい。
posted by papiro at 23:38 | TrackBack(0) | アイテム(0歳) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月01日

紙おむつSサイズなり太き脚

 出産祝いでもらったおもちゃで、やはり音の鳴るものにポルガの反応がよいので、僕も創作に鈴を使うことにした。それで鈴が入用になったのだけど、最近は大きな街に出ることがまるでないので、こういうときに困る。100均で売ってないかと覗いたが、さすがに手芸用の鈴はなかった。
 それでしょうがなく、職場のすぐ近くにある、個人商店の手芸屋に行ってみる。しかし自力では見つからなかったため、店番の人に在庫を訊ねたところ、すごく親切に「いま切らしてしまってないのだけど、あさってには入荷するから、そうしたらまた来てくださいね」と言われる。これがすごく感じがよくて、たぶんあさってに実際に行ったら、またとても気持ちよく対応してくれるのだろうな、と思わせた。そしてそうやって手芸屋さんと顔馴染みになれたら、ユザワヤの吉祥寺店が改装に入って以来手に入らず在庫が切れつつある、ヒットくん人形の胸部に3つ付けるボタン、あれも取り寄せてもらえたりするんじゃないか、などと考えた。あれは「力ボタン」という、表面に出るボタンの裏側に付けてボタンを補強するためにあるもので、その用途から、大抵のお店では黒か白かの2種類しか置いていないのだ。なのでヒットくん人形に使用しているカラフルな力ボタンというのは、裏側にこそこだわる的な、すごく粋な人間にしか必要のないものであり、相当に大きい店じゃないと置いていないのだ。もしかしたら鈴を足掛かりにして、それを頼めるかもしれない。よし、鈴を買う際に、もしも大丈夫そうな雰囲気であれば、勇気を出して頼んでみよう、もしもアメ横でタコを買おうとしたときのような反応が返ってきたら、二度と来なければいいだけの話だ、と思った。
 それが昨日のことで、今日は平日ながら不意に労働が休みだったのだけど、いつものようにフェルト細工をしていて、しかし家にあるフェルトの色の種類がどうにも少ないように思えたので、ネットでどんなラインナップがあるのか見てみようと思い検索したのである。そうしたらネット販売の手芸用品のサイトが次々に出てきて、それで見てみたら、なんか店で買うより安いし、色の種類が豊富なのである。なんだこれ、と思った。
 そこでもしや、と思って力ボタンも検索してみる。すると0.07秒くらいで、僕がずっと欲しいと思っていた色とりどりのそれが、いとも容易に現れたのだった。これにはなんだか力が抜けた。ユザワヤの蒲田店に行く機会はないだろう、町田店ならもしかしたら実家から行けるかもしれない、あるいは吉祥寺店があの場所に戻ってくるのを待つほかないだろうか、しかしそれまで力ボタンの在庫は持つだろうか、という僕のここ2年近くの逡巡は、わずか0.07秒で解決したのだった。ちなみにそのお値段、24個セットで各色52円。それを贅沢に1000円分くらいまとめ買いする。やったぜ。
 しかしそのネット手芸用品店、買い物金額が5250円以上じゃないと送料が無料にならないということで、フェルトもそこで買ってしまうことに。1枚63円のそれを、豪奢に1500円ほども買ってしまう。それでもまだまだ足りないので、やわらか素材のマジックテープを1300円ほど、そして最後にとうとう禁断の、手芸用鈴(1個100円)を1ダース買ってしまった。
 かくして僕は渇望していた手芸用品をまとめて手に入れたと同時に、個人商店の常連客となる未来を手離したのだった。もう明日、鈴を入荷しただろうあの店には近付けない。なんだか哀しい。自身が小売業に従事しているくせにね。ああそれにしても発注品の到着が愉しみ。あの宅配便で段ボール箱で届く感じが、なんとも言えず嬉しいんだよね。わくわく。

 おむつSサイズ……ポルガのおむつが新生児用からSサイズになった。日々眺めているので普通に判っているが、こういう明確な変化によって改めて成長を実感する。
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2011年03月30日

目が合って気付くなり首据わりかけ

 怖い夢を見た。僕は付添いで病院に来ていて、診察室で患者と共に医者から検査の結果を聞いていた。医者の口から発せられた結果は、詳しい内容は忘れたが、とにかく重たい病気で、絶望的な内容だった。その宣告に悲観する患者。慰めの言葉が浮かばない僕。この夢のなにが怖いかと言えば、その患者が、まったく面識のない知らないおばあさんだったという点だ。相変わらず僕の夢には、知らない人ばかり出る。この8年弱で、ファルマンだって3度くらいしか出たことがない。ポルガはまだ出ていない。なんか怖い。
 ポルガが自分のブログで言っていたので間違いないが、ポルガはパピコロが好きらしい。嬉しい。また昨日、僕は労働でいなかったのだけど、我が家にいつもの一家の母と娘がやってきたそうで、3歳になる娘はいまボタンの練習の真っ最中とのことで、パピコロで愉しく遊んだらしい。ボタンの付け外しはもちろんのこと、お気に入りの色を組み合わせて繋げたり、線にして形を作ったり。すばらしいじゃないですか。ちなみに今そのパピコロの、新展開となるあるものを製作中だ。今週中には仕上げたいと思う。反応があると作り甲斐があることだ。
 ところで本日の「カレーライスと飛行船」(略して「かれひこ」らしい)のパピコロの話は、当初僕が書くことになっていた。初めてのパパによる代筆というコンセプトで。しかし少し挑戦して、その難度に匙を投げた。生後2ヶ月のブログってなんだよ、書くわけねえじゃんよ、と思った。
 ところで、今週の金曜日に、ファルマンがポルガを連れて島根の実家に避難するというプランが実はあった。だけどなんとなく東京も小康状態と言うか、もとい膠着状態で、3週間ほど島根に行って、そのあとやれやれ安心と、平和になった東京に戻ってくる図もまるで浮かばず、むしろ生後2ヶ月の予防接種前のポルガを連れて空港まで行って飛行機に乗るほうがよほどリスクが高いのではないかと判断し、取りやめた。これはなかなかに難しい選択だった。未来のことは判らないから、これが正しかったのかどうかも判らない。ただし離れ離れになるのは、ポルガの首が完全に据わる感動(近ごろちょっとしっかりし始めている)や、4月3日にファルマンが28歳になることをバカにする喜びが味わえないので、単純に嫌だった。なので嬉しい。どうか正しい判断でしたように。

 首据わりかけ……ポルガを抱いていて、胸に預けさせていたはずの頭が、ふと気づくと自立していて、ポルガがこちらの顔を見ていたりする。だんだん首が据わりつつある。首が据わったらおんぶして台所に立ちたい。そして大根の味噌汁とか作りたい。
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2011年03月28日

0歳児ならば許そう腹キック

 草野マサムネの報道に驚いた。カナリアかよ、と思った。
 ポルガを縦抱きしていると、ポルガの脚がちょうど下腹部に当たり、ご機嫌なのかなんなのか、ポルガが脚を元気よく動かすと、かなりのダメージを受ける。2ヶ月児のキックだなどと侮ってはいけない。実際、痛いかと言われれば痛くはないのだ。でもそれが逆によくない。ボディーブローは後から利いてくるのだ。そんな時間を過ごした後、しばらくしてから胃もたれのような不快感が体を襲う。喧嘩とかしたことないので、この鈍痛はほとんど初めての経験だった。
 もうずっと前のことのような気がする出産直後の義母の滞在で、義母の置きみやげとして、我が家のティファールの取っ手を溶かして使えなくする、というのがあった。いちおう鍋を掴むことはできるのだが、カチッと固定して嵌められなくて、常に強い力で押さえつけていないとならないのだ。これがものすごく不便なのだ。調理中の鍋を揺り動かすくらいならいいのだが、大変なのは盛りつけ時だ。テーブルの上に用意した皿の上に鍋を持ってきて、中身を移そうとすると、ものすごい握力を使う。もしも不意に力が抜けて、取っ手から鍋が抜け落ち、皿の上に落下して、完成した料理が弾け、床に散乱したら、しばらく立ち直れないだろうな、などと思う。そんなこともあり、新しくティファールの鍋セットを買おうじゃないかという案が浮上している。これまで使っていたもののコーティングが禿げてきていることもあり、ちょうど替え時なんじゃないかなどと言い訳しつつ。なにしろ取っ手だけで買おうとすると2000円弱するのだ。取っ手に2000円払うのってすごくバカらしい気がする。そんなわけで製品ラインナップを見るが、思ったより高くて購入計画が暗礁に乗り上げた。なんでか前よりも高くなっている気がする。円高なのになんでだろう。
 そう言えば今日、久しぶりにスーパーで納豆を買えた。労働終わりの夕方に行ったのだが、なんの都合か不意にあった。やったぜ。それでレジに並んでいたら、僕の後ろに並んでいた人が、僕のカゴの中の納豆を見て、「あ、納豆だ」と声に出して言っていた。よほどみんな待望していたのだな。早速夕食でアボカド納豆をする。久しぶりでおいしかった。

 腹キック……赤ん坊は獣であるから、お腹を蹴ったらいけないんじゃないかという社会性などもちろんなく、全力で蹴ってくる。2ヶ月児とは言え、全力のキックは普通に重たい。
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2011年03月27日

みどりごの目やにを拭うお尻拭き

 物体が硬いときに使われる「カチンコチン」という表現にはチンコが含まれている、ということにいまさら気がついた。字面で見れば一目瞭然なのに、どうしてこんなに気付くのに時間が掛かったのか。なんでこんなに1段1段なんだろう。
 カチンコチンにチンコが含まれているのだとすれば、女の子にチンコって言わす必要はなくなる。カチンコチンって言わせればいいのだ。なぜなら含まれているのだからして。しかし固まった紙粘土などを触らせ、会話の中で「わあ、すごいカチンコチン」などと言わせても、そのいちどで情趣、女の子がチンコと発声することの興奮を味わうのは難しいと思う。それにはかなりの反射神経が必要だろうと思う。その打開策として、「ピザって10回言って」の10回ゲーム、あのテクニックを利用してはどうかと思った。すなわち「カチンコチンって10回言って」と女の子に頼むのだ。そうすれば女の子は「カチンコチンカチンコチンカチンコチン……」と繰り返すこととなり、チンコ部分を抜き出すのはそれほど難しくなくなる(さらに言えば「コチンコチン」にすればますますチンコとなる)。問題は10回言ってもらったあとどうするかだが、女の子が10回も無邪気にチンコって言ったら、そのときはきっと勃起しているだろうから、そっと女の子の手を取り、黙ってそこに当てればいいのだと思う。そうしたら女の子は、「わあ、すごいカチンコチン。チンコ、カチンコチン!」と言ってくれるだろうと思う。あ、意外とチンコって気軽に言う感じの子だったんだ。
 それともうひとつこのテーマで考えた話として、談志のアムステルダムの小噺のパロディで、『看護婦が検診から帰ってきて、同僚の看護婦に、「あの患者さん、おちんちんの所に『チンコ』って書いてあるわ」と報告。次にその後輩が検診から帰ってきて一言、「『チンコ』じゃなくて『カチンコチン』です」』というのはどうか。チンコに「チンコ」って書いてあり、それがカチンコチンになると文字も「カチンコチン」になるというのが気が利いていると思う。そのあとさらに3人目の看護師が、「『チンコ』でも『カチンコチン』でもなく、『チンコ、カチンコチン』です」と報告する、というのも考えたが、これは小僧に対し少し残酷なように思われたので取りやめた。
 ところで今日は母と姉と姪が家にやってきた。特に母のよく来ること。ミネラルウォーターを買ってきてくれ、助かった。一緒に昼ごはんを食べる。メニューはリクエスト通り太巻き寿司。海老とアボカドが入っていておいしかった。おいしかったが、歯ごたえに張りがなく、ここにキュウリがシャキッと入っていたら多分もっとおいしいんだろうなと思った。ファルマンに言ったら「当たり前だよ」と言われた。キュウリが臭くなければいいのに。
 姪は相変わらず愉快だった。そして大きい。体重は12kgだとか。ポルガの3倍弱もある。ベビーベッドで眠るポルガを「見たい」と言うので抱き上げてやったが、その重さに驚いた。
 3人が帰る際、また近所の駐車場までファルマンとポルガも一緒に、見送りついでに外を歩く。今回は初めてスリング(姉から借りてあったもの)を使ってみた。ファルマンが装着したのだが、ややこしい構造の抱っこ紐よりシンプルで、なかなかよさそうだった。たっぷりの布で包まれ心地よいのか、ポルガもすやすやと眠っていた。
 夜は金八先生最終回スペシャルを観る。懐かしくってたまらなかった。途中、問題児の面倒を見ることについて保護者会が開かれ、その際に金八先生が保護者から糾弾されるくだりで、「桜中学の問題児はみんな金八先生のクラスの生徒らしいじゃないですか」という指摘があり、これはミステリにおける後期クイーン問題的な、名探偵の存在こそが事件を発生させる原因であるという、それとまったく一緒だなと思った。乾先生のクラスには問題は起こらず、生徒はみんな健全に立派に学園生活を送り、巣立ってゆくのかもしれない。ところで、かくして大団円で定年退職した金八先生は、これからどうするのだろう。希望としては、妊娠、暴力、性同一性障害、覚醒剤と、日本の学校で考え得る大抵の問題事はもうやってしまったので、いっそのことアメリカに舞台を移してやればいいと思う。あっちにはまだ拳銃や宗教問題、人種差別などが残されているから。
 それにしても教師はいいなあ。金八先生なき後、僕があとを受けて日四先生をやりたい。日曜日の午前4時に放送するから日四先生。全寮制の中高一貫女子校でね……。ぴょんぴょん。

 目やに……最近になって目やにが出るようになった。たまに涙が出たりもするので、涙腺が整ったということか。
posted by papiro at 00:10 | TrackBack(0) | 成長(0歳) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする